水俣体験記

水俣滞在記

 

プロジェクト名 環境調査 水辺の学び

協賛 コカ・コーラ

対象 熊本県水俣市エコパーク水俣病原因物質埋め立て地)

主題 エコパークの再生とは

 

9月23日(1日目開始)

0:00~3:00 岩下とゼミ室でお勉強

なんとか目標勉強時間を終わらす。帰って寝て5時過ぎに家出る。眠い出て羽田から鹿児島空港へ。

 

移動(一日目午前中)

出て羽田から鹿児島空港へ。着陸に気付かず文字お越ししてたらCAのお姉さんに怒られる。たばこ吸いながらぷらぷら。皆さん集まりだして10:30レンタカー借りて水俣へ、運転手じゃないって楽チンでいいね。運悪く先輩(10個上)から助手席道案内指名。寝れない

 

水俣病市立資料館(一日目午後)

エコパークの中に立つ行政の作った資料館。行政の指針(水俣病の方を認定患者・それ以外で分ける、社会問題としての水俣病を収束させるシナリオ)に従った展示内容に問題ありと設立当初から患者・支援団体から批判される。今年の頭にリニューアル

 

副館長草野徹也さんのお話し

自身の生い立ちから始まり、経歴に沿って水俣病エコパーク、市立資料館について話してもらった。父親チッソに勤めていたことから家庭内で患者の悪口を聞いて育ったこと。漁民が暮らしていた湾は汚染され、社会問題化してから封鎖、487トンの水銀に犯された魚を捕って一緒に埋め立て、その上に出来たエコパーク。その用途を巡って対立する市民。行政に携わる一人の人間として自分のするべきことを模索する草野さん。そういえば、行政サイドの人と真面目に話したのは今回が初めてだったな~、貴重なお話しでした。

 

市立資料館としてどうやて水俣病を伝えるか、その教育的な意味合いについて、非常に熱心に動いてるな~と感動。ただ、資料館の中のみである程度完結する教育をすることは、結果の予想、それ応じた展開から生じる「教育の幅」がなくなる難しさと深く繋がってしまう。んー、別に嫌いではないんだけど、水俣病を扱う資料館としてこれでいいのかな~と、草野さんのやろうとしている(前回のリニューアルに大きく関わっている)ことにあまり賛同しなかった。あとから、じゃあ自分ならどう教育するか考えたけど、そもそも水俣病を俺が誰かに教育するって、無理やん。せいぜい伝えることしか出来ないじゃん。草野さんすげーーーとなった。とりあえず。

 

お話しの後、簡単な質疑応答。実際に資料館を案内してもらい、再度質疑応答タイム。黒→白と部屋全体の色が明るく変わっていく。最後はガラスも使って、暗い時代から明るい未来へ向かっていく展示法。実際とても分かり易く、凄いんだけどさ、なんかね、なんで明るい未来につなげないといけないの?教訓にしないとだめなの?いや、そりゃ政府が福島原発で「水俣病で何を学んだのか」とか散々叩かれてるのはどうかと思うけどさ。「俺が、なんで、展示に従って感情コントロールされなきゃいけないんだよ」と、心理的方向性の定まった教育にまーた疑問を抱く。ふふふ

 

ちなみに、以前お願いした2013年展示(チッソ附属病院、細川一医院長)のデータを頂いた。俺歓喜

 

 

(1日目夜)

地元の居酒屋でわいわい。マスターがギター弾いて歌いだしてわいわい。コードを一瞬で変えるの難しすぎてわいわい。運転手じゃないのに、抗生剤飲んでるせいでお酒飲めなくて号泣わいわい。帰って寝る。一瞬で寝る。畳で横になったまま寝る。誰かが布団をかけてくれる。

 

 

(2日目朝)

3時過ぎに起床。とりあえず、暇だから台所で文字お越し。4時に先生起きてくる。同じ机で向かい合って私文字起こし、先生聖書片手にお祈り。6時過ぎに3年生起きて来てびっくりする。朝ごはん作ってくれてる間も文字起こし。シャワー浴びて朝飯。

 

(2日目午前中)

熊本学園大学現地研究センターへ。道案内頼まれたけど、車で来たことなかったので盛大に間違える。

中地重晴教授の話

・水銀、有機水銀の化け学的基礎知識

・水銀規制に関する日本・世界の動き・国際条約・汚染状況

水俣市の環境汚染と埋め立て

水俣のこと調べ出して2年目だけど、化学の立場から見た分析をしっかり聞いたのは初めてだった。聞けば聞くほどボロしか出てこないボロボロの政策、素晴らしいと思います。

現在の水銀問題を少し。海水中に水銀を流すと、プランクトンがまず吸い込みます。で、プランクトン(てか生物には)吸収・分解する力がないため、水銀を喰ったプランクトンを小魚が喰って、その小魚をでかい魚が喰って、そのでかい魚を人間が喰いたくなるでかくて美味しい魚(さんまにしよう)、さんまが喰う。水銀を吸い込んだプランクトン1万個体を、小魚100匹が食べて、その小魚100匹をさんまが喰う。そうするとあら不思議、プランクトン1万個体が吸い込んだとんでもない量の水銀を、さんま一匹食べるだけで人間が摂取できる。生物濃縮って怖すぎでしょ。

で、この流れで大切なのが生物濃縮と、どんだけ魚が喰っても水銀は分解されないってこと。世界中で海に流されてる水銀は世界中の海流を回って最終的にマグロとか、海の食物連鎖頂点のやつらに集まってまた人間に戻ってくる。日本・中国で流した水銀のおかげでハワイで捕ったまぐろが水銀に暴露されてるって状況が、起こる訳です。水銀中毒は少量でも運動障害を起こすから、魚食いまくってる国・種族・部族の中で、水銀中毒が全く知らない間に起こってる。というのが現状の水銀問題だそうです。

水俣病を起こした日本ですが、魚食う時の水銀規制値は先進国の中でトップクラスに低いです。まぐろ食えなくなったら暴動起こるし、しょうがないかなーー

 

(2日目昼)

案内人の元、水俣を散策。工場周辺、海岸線、エコパーク

エコパーク

水俣病の原因となった、水銀ヘドロの埋め立て地に水俣病を教訓に 「環境と健康」をテーマとし、ユニバーサルデザインの理念を基に誰もが、 ともに集い憩える公園(熊本通信より)

 

すげー綺麗な公園ですね。来るの3回目だけど、相も変わらず素敵な場所です。

これ写真

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超綺麗でしょ。景色もいいし、内海に繋がる公園ってそれだけでテンション上がる。

で、こっちが埋め立て時の写真

 

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ドラム缶の中にいるのは、水俣湾にいた魚です。水銀汚染されたまま放置するわけにはいかないからと、捕まえて、ドラム缶にいれるか焼却処分、全部で500トンも殺されたんだと。工場の排水路と繋がってるために湾全体が水銀に犯され、近くの漁村で人がたくさん死んで、水銀たくさん含んだヘドロの上に死んだ魚置いて、コンクリートで固めたのがエコパークですね。書き方が随分過激だけど、そうとしか見えない。笑っちゃいます。自然ぶっ壊して、生物たくさん殺して爆心地にさらに死体埋めてろくな調査もなされないまま埋め立て地にして、「エコパーク」と名付ける。水俣病からの復興、環境推進都市水俣の中心地となる。そこにどんな前向きな理念があろうと、俺には気持ち悪いものにしか見えません。

 

 

漁師の話

エコパークのすぐ横にある斜面に、こんな凄い木があります。

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間に漁師が立って、下で漁してる仲間に魚がどこにいるか指示を出していたんだって。かっこいい。ちょっとしたホットスポットだよって、教えてもらった(笑)

ちなみに、水俣湾は水銀の除去、埋め立てによる景観等の再生に成功したけど、魚は全くいなくなったんだと。水俣に住んでる友達のお父さん漁師なんだけど、水俣じゃ魚が捕れないからって鹿児島まで行ってるんだと。

 

 

(2日目夜)

ガイア水俣(ガイア主義に基づく水俣病患者支援団体)訪問

 

時代の流れに引き寄せられて水俣に来て、そのまま居ついた3人のおっさんの話。リアルで面白かったよ。

水俣にいてよく思うことだけど、ここに住んでる人たちは「人と人」としてこっちの話を聞いてくれるし、自分の話をしてくれる。利害なんか関係なしに、わけわからん学生と真剣に向き合ってくれる。

そういえば、以前お会いした患者の緒方正人は「水俣病は人を人と思わんことから始まった」「補償金なんかいらんから、人として謝って欲しかった」と話してくれた。目の前の人間を人間と見なくなったとき、人は人を簡単に殺せる。海に目を向けなければ汚染しても構わなくて、それで人が、生物が、自然がどれだけ犯されようと構わない。そうやって、簡単に考える、考えないことができるんだろうなー人間って。

 

(2日目深夜)

酒飲むよね、そりゃ。地元の若者たちが集まって来て刺身囲んでわいわい。そのまま2時までウノ。私は大富豪派です。3時半まで文字起こしして就寝。翌日6時に起きて朝飯作った俺ファインプレー

 

 

(3日目朝)

金刺潤平さん訪問

 

書くの疲れて来たので、簡単に(笑)

 

・上記の緒方と共にエコパークに手作り地蔵を何体も置く

エコパークの設立に疑問を投げかける

水俣復興の為、行政の中で動く

 

毎年エコパークで行われている「火の祭り」という催しがあります。金刺さんが行政で提案・実行させたお祭りで、当初は

・地蔵に魂を入れる、

・死んでいった患者さんに火のちょうちんで帰って来てもらう(会いに来てほしい)

・生者死者皆で語らう

・人形をたくさん用意(おそらく死者に

 

子どもが多いから)

・死者を送り出す

 

こういった内容・願いを込めてお祭りを作ったんだと。それでいざ開催してみたら想像以上に盛況で、行政側から見ると観光事業として大きな意味をもってしまったんだと。結果、本質を見失って「人を呼び込む」ための祭りになってしまった。金刺さんも実行委員から手を引いたそうな。

彼は、上に書いたような願いがあって、加えて、祈りたかったんだと。大切なのは祈ることだと。今の水俣の復興にはそれが足りない。死んでいったもの、今苦しんでるもの、失ったものに目を向けないで今をよりよくすることだけを考えてる。その、よりよくってのは、水俣市民、マジョリティを形成している人間のみの為だったりして、ふふふ。

 

 

最後に、水辺の再生

 

一応、今回のテーマだからね。

 

どうなんでしょう。水辺の再生って言葉から最初連想していたのは(このプロジェクト、前回は北海道で水質調査してる)自然の復元、もしくは人間が生み出す構造物と自然の循環の共存、だと思っておりました。

ただ、馴染み深い水俣をテーマにしてみてみると、とんでもなく見方が変わりましたね。「水辺の再生」を「水辺」と「再生」に分離して各々の定義を考えてみる。行政が過去に行って、現在エコパークの形を作った定義は

「水辺」:犯された自然

「再生」:早急に汚染を覆い隠し、大多数の市民にとって都合のいい状態にする

 

じゃないかな。で、金刺さんが話していたのは

「水辺」:犯された自然・漁民の生活環境

「再生」:傷つけられたものたちに対して責任を取る、その方法を探す

 

「水辺」

ただの自然と捉えるか、人が自然と共に過ごした場所と捉えるか。当時の劇症型患者のほとんどは漁民だったから、彼らは水俣病で体を犯されて、復興のための埋め立てで生活環境も奪われたんじゃないかな。

 

「再生」

誰の為の再生か、なんの為の再生か、その先にあるものは何か。

 

今回の訪問とは関係ない私の研究の話になるが、私は、水俣市民は立派な加害者だと考えています。その理由は省くきますが、病気で散々苦しめられてきた患者が、「再生」という名の復興を加害者(水俣市民)の為に行われることでまた蔑にされるのだとしたら、我慢ならないものがあります。

1日目の最初にお会いした草野副館長の様に、行政の方針に則って自分の精一杯をしている人がいるのはもちろん分かるし、彼等一人一人に責任を追及する事は出来ない。だからこそ社会の問題。構造、システムの問題として捉えなければいけないんだなーと。考えないといけないけど、今頑張ってる人たちを決して軽視しないように。彼らが一番頑張ってて、偉くて、凄いんだから。

そんなことを、水俣の水辺、エコパークで行われた「再生」を見て、怒りを覚えながら、思った、とさ。

 

 

その後、福岡行って裁判所行って菅原道真公に挨拶して人生初屋台でテンション上がって検察庁行って帰って来た、興味深い1週間でした。おわり

 

 

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宿泊地 相思社より